病みの略奪

 私は羨ましかった。彼女のことが好きだったのに、今では妬ましい。
 身分に大きな差があった。彼女が呼ぶ私の名前には”さま”が付けられる。私は雇い主で、彼女はあくまで使用人。
 それでも、彼女とは年が近かったせいもあって日を追うごとに親しくなっていった。彼女は嘘をつかなかった。それが父や母に言いつけられたことでも、私にはちゃんと本当のことを言ってくれた。
 この家の財産に群がってくる大人たち、大人に言われて媚びる子ども。
 彼女は違った。私を私とみてくれる。
 私に何かを望むわけでもない。媚びるわけでもない。私のことを叱ってくれた。
 それを知った両親が激怒し、そのせいで彼女の背中には大きな傷が残ってしまった。
 それでも彼女は何も変わらなかった。今まで通りの彼女で私に接してくれた。私を投げ出すこともなく、私を恨むようなこともなく、傍にいてくれた。
 こんな人は初めてだった。この人なら信じてもいいのかもしれないと思った。この人なら、きっと私を裏切ったりしない。
 使用人とは距離をとるように言われていたけれど、私たちは姉妹のように仲良くなった。
 そんな彼女が大切にしていたのは手紙だった。
 月に1度、彼女の元に届く手紙。幼馴染だという彼女の想い人からの手紙。
 彼は商人で、様々な国をまわっていた。彼女も年に1度、短期間の休みをとることしかできなかった。2人は滅多に会うことができない日々を、手紙で埋めていた。
 彼女はその手紙の内容を、私にも話してくれた。様々な国の、外のはなし。
 私はこの屋敷を出ることを滅多に許されることがなかった。命を狙われる危険性や、誘拐などを避ける為、外の世界を知らずに育った。
 彼女が手紙の話をしてくれるのを、私はとても楽しみにしていた。外との唯一の接点だった。
 ほどなくして戦争が始まった。
 男たちは誰もが兵として戦争へ行った。彼女の想い人や、私の父も例外ではない。
 生きて帰れるかわからない。心配で眠れない日もあったようだけれど、それでも彼女は幸せそうだった。想っている人とと婚約し、戦地から戻ったら結婚が決まっていたからだ。
 彼女は毎日祈っていた。彼が無事に帰ってくることを。私たちは祈る事しかできない。
 状況は燦燦たるものだった。劣勢なまま突き進む。誰もが敗北を覚悟するような毎日。
 このまま負ける。好転する要素がないと嘆く。日増しに確信に変わっていく。
 そこに舞い込んできたのが私の縁談だった。
 父の知り合いだという、敵軍の将校との結婚話。元々自分と同等かそれ以上の身分の者と私を結婚させようと目論んでいた父は、以前この縁談を断っていた。
 ただ、状況が一変した。今ならばと相手が思ったらしい。
 国に搾り取られた財産は半減していた。このままでは尽きるのを待つだけ。
 身分だけ残ったところで、戦争に負ければ見せしめに処刑されるだけ。
 この縁談相手に縋れば、なんとかなるかもしれない。20歳以上年が離れたその男との結婚を、母は推し進めた。
 しかたない。
 しかたのないこと。
 いつもそうだ。この家の為に、何もかもを犠牲にしてきた。この家を守るために生まれ、育てられた。それ以上でも、それ以下でもない。
 両親の前で、首は縦に振るためにのみ存在している。
 それでもまだいい。今までとは違うのだから。私には彼女がいる。
 彼女がいてくれれば、それでよかった。たくさんの哀しみや苦しみを、乗り越えられる気がしていた。
 私たちは敵軍に魂を売り、祖国を裏切った。
 この屋敷も失い。私たちはその将校の住む敵地へと移り住むことが決定した。
 この私たちに、彼女が含まれていないことに気付いたのは、彼女との別れの日だった。

 私は羨ましかった。自分の意思を持てる彼女が。好きな男と結婚できる彼女が。外の世界で生きることができる彼女が。
 彼女のことが好きだったのに、本当に大好きだったのに。今では妬ましくてしかたない。
 彼女は私を裏切った。
 私ではなく彼を選んだ。それが私は許せなかった。
 どうしても許せなかった。
 妬ましくて、憎い。
 私は彼女に1丁の拳銃を差し出して、それで自害することを命じた。
 私に付いてこないなら、今ここで死ねと命じた。
 彼女は泣いていた。ひざまずいて私に何度も謝りながら、握りしめた拳銃の銃口を、こめかみへと向けた。
 彼女は引き金を引く瞬間、絶叫した。
 銃口が彼女から私へと向きを変える。
 鼓膜を震わす彼女の叫びは、何を意味したのだろう。
 引き金はひかれたが、銃はカチッと音を立てただけで銃弾が飛び出すことがなかった。
 はじめから弾など詰められていなかった。
 もしも彼女がそのまま自分を撃ったなら、私は彼女をこのまま逃がそうと思っていた。
 彼女の望みをかなえるつもりでいた。
 でも彼女は、結局私を裏切った。
 私を殺そうとした。
 私は短剣で彼女の胸を刺した。
 この手で、敵を殺した。
 これは戦争だもの。
 そうでしょう?
 私は彼女の死体をそのまま放置して、その地を後にした。

 私はきっと、ついていなかったのでしょう。そういう星のもとに生まれた。
 結婚してひと月ほど経った頃には、協定を結んだ私の祖国は形勢を逆転させる。
 このたった1ヵ月間をしのべれば、こんなばかげた今も、あの悲劇も起きなかったのかもしれない。
 愛してもいない男に抱かれながら、何もかもがどうでもよく感じていた。
 そのうち反逆罪で処刑される。それすらどうでもよかった。
 ひとり、汚れた身体でベッドに横になりながら泣いていた。この涙が、何の涙なのかもわからない。
 窓辺に人影が映り、また夫が戻ってきたのかと思った。
 私はそのまま横になっていた。
 近づいてくる足音。足音の主は、そのまま土足でベッドの上へと登り、私を見下ろすように仁王立ちした。
 夫ではなかった。
 見たこともない男がそこに立っていた。
 月明かりを背にした男の顔は見えなかった。ただ、背格好からして夫とは違う。
 戦地で失ったのだろうか、男には右腕がなかった。
 男は私に覆いかぶさり、取り出した短剣で首を切り裂こうとした。
 けれど、その見覚えのある血生臭い短剣は錆びついていて、私の首を切り裂くことはできなかった。
 男は短剣を使いながら、泣きながら私の服を引き裂いた。みみず腫れのような傷がいくつもできた。
 私はそれでも痛みに耐えながら、じっと声を殺していた。
 この罰を受け入れれなければいけないと思った。
 彼はそのまま乱暴に私を抱いた。
 そのうち優しく触れながら、何度も彼女の名前を呼びながら、私のことを抱いた。
 この傷だらけの身体を、誰ともわからぬ男に汚された身体を、もう誰も抱くことはないかもしれない。
 だけれど、わたしは嬉しかった。
 彼女の名前で呼ばれ、この男に抱かれることが嬉しかった。
 私は私を捨てて、彼女になれたようで嬉しかったのです。
 あの時彼女は、私を殺すことで助けようとしてくれたのかもしれない。この足に絡みついた鎖から、解放しようとしてくれたのかもしれない。
 錆びたナイフで私と彼女の血が混ざり合い、自分の中に棲む怪物が目を覚ます。
 私たちは皆、病に侵されている。アイという病に。






「病みの略奪」


彼女の右手が使えないのは
重い鉛の塊を持ってるから
それは弾の入っていない拳銃
けれど
彼女の愛と優しさが
それを凶器へと変えるだろう

彼の左手が使えないのは
錆びた鉄の塊を持っているから
それは何も切れないナイフ
けれど
彼の悲しみと憎しみが
それを狂気へと変えるだろう

私の脚が動かないのは
丈夫な鎖に繋がれているから
それは自由を奪うための足枷
けれど
私の弱さと失望が
それを狂喜に変えるだろう


(詩集「HEAVENS DOOR」より)



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