君はびしょ濡れだった。
原因はさっきまで晴れて居た空が1分後には薄暗くなり、土砂降りの雨になったせいだ。
僕は寄り道していた本やから出てきたところだった。
ドアから出たとたんに降り始めた雨にイラつきながら、傘を持っていなかった為に店先で止むのを待っていた。
そこに現れたのがびしょ濡れの君だった。
濡れて制服が肌にへばりついていた。スカートの裾からポタポタと滴る水滴が、絞れるほど濡れていることを示していた。
色白の肌に、セーラー服の赤いリボンが鮮やかに浮かび上がって見えた。
水分を含んだ髪が重たそうだ。長い髪はひとつに束ねられていた。
ゴロゴロと空が鳴る。
光が走り、自分の予想よりもずっと大きな音が響き渡った。
隣でバシャッという水音を聞いて、音の方に自然と視線が向いた。彼女が持っていたカバンが地面へと落ちたようだ。
振動を感じるように響き渡った音は、どこかに落雷でもあったのではないかと思わせるほどの衝撃があった。
思わず身体がビクッと反応していた。が、それは音のせいというよりも声のせいと言える。
「キャーーーッ」
その場にしゃがみ込み、彼女は耳を塞ぎながら悲鳴をあげていた。
鼓膜を震わせた甲高い悲鳴。それが、はじめて聞いた彼女の声だった。
僕は気にはなったものの、声をかけるでもなくそのままそこに立っていた。
お店の中に逃げればよかったのにと思ったけど、あれだけびしょ濡れな状態では店内に入っていくのは迷惑だろうなとか考えていた。
ものの数分で殴るように降っていた豪雨は止んできた。日差しが戻り、さっきまでの状態が嘘のように晴れだした。
道路にできた大きな水たまりが、今見たことは嘘ではないことを主張しているようだ。
僕が歩き出そうとした時、君に話しかけられた。
「待って。お願い、助けて」
うずくまったままだった君が、僕を見上げて言った。
腰を抜かすということが現実に起こり得ることなのだという事を、僕はその日初めて知った。
我慢とか、辛抱強さだとか、そういうのって割とできるしある方だと思ってたんだ。
君と出会うまでは。
僕は羨ましかったんだろうか。君の少し大人びた考え方や、潔さが。
一緒にいてもいなくても、君のことを考えていた。君が好きだと言った音楽、おすすめしてくれた本、名前を付けた猫、お気に入りのお菓子。僕もみんな好きだった。
君の話し方、黒くて長い髪、姿勢がいいところ、君が書いた文字、へたくそな絵、僕はみんな好きだった。
何でもかんでも欲しくなってしまった。
でも、その手に触れると君は困惑したように笑って離した。抱き寄せると君は僕を突き放した。それでも僕は君に手を伸ばし、唇を奪う。
僕にだけ笑ってくれればいいのに。
僕とずっと一緒にいてくれたらいいのに。
僕に全部くれたらいいのに。
全部君になっちゃえばいいのに。
君は酷く怯えながら僕を見つめていた。
何を言っているわけでもないのに、その目は僕のことを責めているようだった。
何でなんだろう。
何で君は僕のことをそんな目で見るんだろ。僕が思うように、君も思っているわけではないのか。そうなのか。どうして同じにならない。
とりあえず四角い箱に閉じ込めて、逃げないように繋いで、鍵をかけたよ。
ちょっと狭いね。でもこれで邪魔も入らない。
2人だけになれば、僕しかいないのだから。僕を選ぶしかなくなるんだから。シンプルで完璧な構図の中で、僕等は共に過ごした。
夢の中の君は、あんなに僕を求めていたのに。おいしいと言いながら、僕のことを舐めまわしていたのに。
僕は怖かった。僕の中に入り込んでくる君が。それでも抗えば抗うほどそれは逆効果で、君のことばかり考えてしまう。考えたくなくても、そこら中のに君の痕跡を感じで、何処にいたって君の欠片が散りばめられている。
気味が悪かった。
考えてしまう自分も。夢の中の君も。
支配されていくようで、それが気持ち良かったり、痛かったり、苦しかったり。
どうにかなりそうだろう?むしろ僕は、すでにどうにかなっていたのかな。
だから僕は君が夢の中で僕にしたように、体中に舌を這わせたんだ。それが自然のことのように思えて。
前は必死に抵抗して、暴れていた。
同じ君なのに今は違う。
君の好きなもので溢れているはずのこの箱の中で、僕はひとりだけ浮かび上がる黒いシミのようなもののように、「嫌い」に分類される。
僕は、あの日君を怖がらせた雷のようになったんだろうね。
君が好きだよ。
単純に求めることに夢中になるだけ。
泣いてる君を見るのが、君を泣かすことが、僕の望みなわけじゃないのに。聞きたいのは悲鳴や拒絶の言葉じゃない。
ボロボロとこぼれ続ける涙は、ずぶ濡れだった君の、髪や制服から滴る雫のようだったよ。
もう、そんなこともなくなった。
あの時僕が助けたように、君も僕を助けてよ。
君のせいだよ。
君が僕を避けたりするから。僕から逃げようとするから。僕をそんな目でみたりするから。
僕は君と出会って変わってしまった。
こんな僕を、僕自身も望んでいたわけじゃないのに。
君が悪い。僕を狂わせた君が悪い。
もう息もない。
もう動かない。
もう僕の名も呼ばないのに、その目だけは僕を責め続けている。
僕から全部奪うように、君は全力で僕を置き去りにして、完璧に僕を支配する。
僕が悪いのか?
僕が悪いのか!
君は僕を君に? 違うのか。
僕を君に君に……。
もう、何も考えたくない。考えるべきじゃないんだ。考えるな。考えるな! 考えるんじゃない!!
やめてくれ。
やめろ!!
僕が悪いのか。
僕を責めるな。
君が悪い。
君が悪いはずだ。
君が悪いはずなんだ……。