ひなたとひかげ

「日向サンのこと好きですよ」

「え? てっきり嫌われてんのかと思ってた。ありがと」

 そう言って、半年間片思いしている相手は爽やかに笑った。
 サラッと流されたが、俺にしてみればかなり勇気を振り絞って言いました的な告白だったりする。それをわかってんだか、わかってないんだか、爽やかな笑顔からは読み取れない。
 元々無口で、人付き合いもあんまり(ひとりの方が好き)な感じで、人を寄せ付けない感じではある。友達も少ない(それでいいと思ってる)し、今のスタンスが楽で気に入っている。
 まぁ、それプラスこの人相手だと緊張するってのが相まって、他の人以上によそよそしいくなっていたのかもしれない。



 出るつもりのなかったけど、この人が参加するって聞いて参加してみた忘年会の席で、俺は隅っこの方で静かに飲んでいた。人が避けていたその席は、酔うと愚痴が止まらない同僚の正面。
 そいつの愚痴り仲間2人に囲まれ、俺は軽く相槌を打ちながら無の境地だった。

「ほんと、嫌になるよ」

 それがこいつの口癖。
 ネチネチネチネチ……。部下の女の子が自分にだけ冷たいだとか、仕事量の割に給料が少ないだとか。上司の癖に割り勘だったとか。嫁の料理がまずいだとか。
 くだらねぇ。
 自意識過剰。仕事が遅いから溜まるんだよ、そんな奴の給料あげられっか。上司もお前には奢りたくないってよ。いっそ離婚しろ。
 とりあえず、相手の酔いが回るまでは話半分聞いておき、途中からフェードアウトした。
 聞いてたら脳みそ腐りそうだ。それを口に出さないだけ、まだましだと自分では思っている。
 態々こんなとこに来た理由であるその人は、遠い席で楽しげな様子だった。
 酒はそんなに強くないのかもしれない。見てた限り、たいした量を飲んでたわけでもないのに、顔がほんのりと色づいていた。
 可愛いな。
 そう思いながら、ため息が出た。
 たいして他人に興味を持つこともない俺が、悶々とひとりのことを考えるとか、正直自分で自分がキモイ。

「どうした? やっぱお前もボーナス少なかったのか?」

 正面の愚痴野郎はボーナスの話をしていたらしい。ため息を同意にとったようだ。

「ほんと、嫌になります」

 こんな自分と、お前のことが。

「だよなー。嫌になるよなぁー」

 ジョッキ片手に、今日何回聞いたかわからないセリフがお決まりで返ってくる。

「影日(カゲヒ)くーん」

 急に遠くから名前を呼ばれて、俺は声の方を見た。同僚の女性が手招きしている。

「すみません、なんか呼ばれてるみたいなんで」

 俺はそう言いながら立ち上がった。なんかごちゃごちゃ言われてはいたが、「すみません」と言いながらその場を後にする。
 あっちの方がまだマシな気がする。彼女はうわさ好きでよく喋るのがウザったいが、向こうの席にはなんたってあの人がいるし。

「あんな端っこの方に居たから気付いてなかったよー。しかも、佐藤さんたちに捕まってたとか、お疲れ様!」

 あの人たちのことは、同じ課の人なら誰でも知ってる。毎年この小さなカフェを貸し切って行われる忘年会で、あそこがあの人たちの定位置だったらしい。
 まぁ、だからあっちは席がすいてたわけだけど……、滅多に飲み会に参加してなかった俺はまんまと座ったわけだ。

「正直、助かりました」

 俺はそう言いながら、空いていた彼女の斜め前に座った。

「あー……、そこの席ね」

 彼女の視線がオレの背後へと移った。俺も自然と後ろを振り返る。

「すみません。俺、空いてると思って」

 俺は急いで立ち上がった。後ろに立っていたのがあの人だったからだ。こっちの席に辿り着くまで、それとなく姿を探してみたものの見当たらなかったから、別の席に移動したのかと思ってた。
 ただ、トイレかなんかに席を立っただけだったらしい。

「だいじょうぶ。だいじょうぶ。ていうか、あそこ空いてるから一緒にそっちで飲まない?」

 その人は違うテーブル席を指差しながら、そう言った。
 何この展開?
 正直かなり動揺していた。
 俺この人とほとんど喋ったこともなかったし。何喋っていいかわかんないし。。いや、嬉しいんだけど。嬉しいんだけど、断りたい。だからって、この状況で断れない

「えっと」

 今さっきこっちに呼んでくれた彼女の方を見返ると、すでに何やら盛り上がって爆笑していた。特に俺に用があったとかじゃなくて、単にあいつ等から引っ張り出す為に呼んでくれたみたいだ。
 おかげさまで、本当に願ったりかなったりな感じの展開でにはなったものの、彼女と話をすることをダシに断ることはできないことが判明。
 あの人の方を向き直ると、既に指定していた席に座ってポンポンと椅子を叩いて見せた。

「こっちだよ」

 柔らかい笑顔でそう言うその人の方へと歩き出す。
 何考えてんだろこの人。誰とでも仲良しさんだから、ひとりぼっちな俺に気を使っているとか?

「どうも」

 隣に座りながら、平常心と心の中3回唱えた。あんまり効果なさいかもだけど。
 
「めずらしいね、飲み会参加してるの。こういうの嫌いだと思ってた」

「嫌いというか苦手ですね。めんどくさいし」

「あははっ、正直だね」

 無邪気に笑うこの人を押し倒して、俺に縋りつくぐらい良くさせて、涙目になるぐらいじらしたい。
 ……落ち着け俺。
 根性見せろ、理性。
 頭ん中はあんなことやそんなことでグルグルしている。言ったら2度と口利いてくれないだろうな。

「おまたせしましたー」

 店員が持ってきたビールをテーブルへと置いた。席に着く前に頼んでおいてくれたらしい。

「ビールでよかった?」

 そう言うと、もともとテーブルに用意されていた野菜スティックをかじりだした。

「はい」

 ビールを飲みながら、話題を探してみる。
 つっても、この人のことをほとんど知らない。いや、名前ぐらいしか完璧にわかってることなんてない。年齢すら知らない。たぶん2つ上ぐらいだろうけど。
 同じ職場で2年働いてて、俺の知ってる情報こんだけ。
 できれば深入りしたくないし、恋してるとか認めたくなかったし。できるだけ関わらないようにしてたせいもあるけど、それにしたって酷いな。

「何気に歓迎会ぶりだね、一緒に飲むの。まぁ、一緒にって言っても大勢の中のひとりだったけどね。あれからもう2年ぐらい経った? 仕事も慣れたし、そろそろ本領発揮してもらおうかなって思ってるところ」

「本領はすでに発揮されてます」

「またまたー。次はサブについてもらうつもりでいるから、よろしく。影日君はやればできる子でしょ?」

「無理ですよ。それに一体、俺の何を知ってるっていうんですか」

 何度か一緒に仕事をしたことはあったけど、向こうだって俺のことなんて何にも知らないはずだ

「知ってるよ。無口なのは、口が悪いのを隠すため。仕事は早くて丁寧。期限に遅れたこともない。ミスもほとんどないから、一緒にやるのすごい楽」

「……そりゃ、どうも」

 褒めすぎだろ……いや、最初の方褒められてないか。
 それにしても、よく周りを見てる。おかげで下について仕事している奴らも仕事がしやすい。慕われてるし、上の評判もいいんだろうな。
 視線を外し、照れ隠しに目の前にあったポテトを頬張る。ふにゃけたフライドポテトは、冷めててまずかった。

「でも、ほら。影日君がうちのチームでやりづらいんだったら、石田(イシダ)さんと、横山(ヨコヤマ)さんも欲しがってたから、そっちでやってもらってもいいんだけど」

「けど?」

「できれば、うちでサブついて欲しいなー、なんて。嫌じゃなければ……」

 避けてたのバレバレだったんだろうな。でもさ、嫌よ嫌よも好きのうちっていうんだよ、センパイ。
 残りのビールを一気に飲み干して、俺は言った。

「オレ、日向(ヒュウガ)サンのこと好きですよ」

 そんんで返ってきた答えが「え? てっきり嫌われてんのかと思ってた。ありがと」だったわけで、それからさらに1時間後。忘年会はひとまず終了。
 みんな身支度を整えて店を出ていく。このあと2次会もあるらしい。

「あれ? 日向のやつ潰れてんの?」

 でもって、幹事の男に声をかけられているのが今。

「そのようです」

 あの後も俺と同じペースで飲んでたこの人は、すっかりベロベロ。途中何度もその辺にしておいたほうがいいと忠告はしたが、聞きやしなかった。
 この人、案外人の言うこと聞かない……。

「普段あんまり飲まないのに飲んでるってことは、何かいいことでもあったんだな。そういう時ぐらいだよ、日向がこんな飲むの」

 酒、弱すぎ。弱いのに飲みすぎだし。
 いいことって何だよ……。都合よく解釈しそうになるだろ。

「そうなんですか……」

「ひょうひょうとしてそうで、実はクソまじめで周りに気を遣いまくってるようなやつだから、潰れたのはじめて見たかも」

 男がテーブルに突っ伏して眠っている? 日向サンを見ながら言った。

「で、お前2次会行くの?」

「行きません」

「そっか。じゃあ、こいつのことよろしく」

 オレの肩をポンッと叩きながら、男は言った。

「……え?」

「頼んだぞ」

 男は軽く手を上げながら、そのままスタスタと店を出ていった。
 ちょっと、待てってば! 俺この人の家も知らないのにどうしろと?
 俺は椅子から半分腰を浮かせたまま、アホ面でその男のことを見ていたと思う。
 なんだあの身のこなし。確信犯か? 押し付けんのうますぎ……。
 それにしても、寝顔カワイイし。超無防備。
 そもそも眼中にないから、全然警戒もされてないってわけで。
 俺はとりあえず、酔っぱらいを背中にしょい込んで店を出た。

「日向サン、起きてくださいよ」

「んー……? かげひくん?」

「そうです。家どこですか? タクシー拾いますけど、1人で帰れますか?」

「おんぶ? お持ち帰り?」

「くだらないこと言ってると、本気でお持ち帰りしますよ」

「そっか、そっか」

 そっかじゃねーよ。人の気も知らないで。
 ずり落ちた腕を自分の肩に戻しながら、俺はまた歩き出した。この辺じゃ無理っぽいけど、大通りまで出ればたぶんタクシーがつかまる。

「かげひくんってさぁ、人を寄せつけないようなとこあんじゃん」

「まぁ、そうですね」

 周りに人は見当たらない。でかい公園横の、人も車もほとんど通らないこの道を、真直ぐ歩いていればそのうち大通りに出るはずだ。
 耳元から聞こえる声が、一層近くに感じさせる。内緒話でもしてるみたいでドキドキする。顔が見られない状態でよかった。

「コミュ障とかじゃなくって、敢えてのそれなんでしょ?」

「はぁ」

 ……全否定ってわけでもない気はすけど。周りからはそんな感じに思われてんだろうし。つーか、案外ズバッとそんなこと聞いてくるとか、そんな感じの人だったっけ?
 気のない返事をするが、背中にこの人の体温感じながら爆ついてる心臓の音が聞こえちゃいないか、内心心配だ。

「なんか、うれしくってさ。そんな、かげひくんにすきとか言ってもらえて。なんか、特別みたいな感じするし」

 うれしい? 俺の特別になることが? 今この人そう言ったよな?

「実際、特別ですけどね」

 舞い上がった俺は、アホ丸出しで口を滑らせた。
 その後、ながーーい間沈黙。いや、実際長くないのかもしれないけど、長く感じさせるっていう効力を持ってる。
 更に上がっていく心拍数。やっちまったで頭いっぱい。
 ばかじゃねーの。まじで、バカすぎだろ。バーカ、バーカ……。都合よく、明日には全部この会話忘れてたりしねーかな……。

「……かげひ…」

「……なんですか?」

 名前を呼ばれて、心臓が止まりそうになった。

「……。…吐く……。」

 えーーーーーーっ!!?
 小走りで公園内に入ってトイレを探してるうちに、目に入った手洗い場へと直行した。
 近くにあって助かった……。

「大丈夫ですか」

 何度か吐いて、落ち着いたっぽいところで、しゃがみ込んだ後ろ姿に俺は声をかけた。

「……ギリギリ」

 そう言って大きなため息をついて立ち上がると、日向さんは近くにあったベンチへと腰を下ろした。

「……ちょっと、休憩」

 俯きながらボソッとそう囁いた。

「酒弱いのに、飲みすぎですよ」

「うん。ごめん、迷惑かけて」

「別にそのことを責めているわけじゃないです」

「影日君は、そっけなくて冷たく見えるけど、本当は優しいよね。見えないようなところで優しいんだよ。そんなところが、いちいちかわいいし」

「は……い?」

 誰が可愛いって? そんなことこの人が言うわけないし。だよな。たぶん聞き間違い。幻聴とか妄想の類いとか、そっち系。
 ついに行くとこまで行ったっていうか、どんだけ好きなんだよこの人のこと。

「勢いつけたくてこんな飲んじゃったけど、飲みなれてないから加減がわかんなくってさ。かっこわるいなぁ」

 苦笑いをしながら頭を抱え込むようにそう言った。
 ありがちな場面で、ありがちな告白的なものを想像している自分の浅はかさに、俺の方が頭を抱えたくなる。
 そんなわけないよな。そんなはずない。
 言い聞かせるようにそう何度も思いながら、冷静さを取り戻そうとする。
 今後仕事がやりにくくなるようなことにはなりたくないし。そもそも迷惑かけたくないし。

「酔いが少し醒めてきたら、急激に恥ずかしくなってきた!」

「え?」

 どれが? なにがはずかしいって? そんなことより、たいして酔い醒めてないと思うけど。
 日向サンは立ち上がると若干ふらつきながら歩き出した。その危なっかしい後姿を見守りながら、俺もその後を歩いた。帰る気になったんだと思う。
 あと、300メートルも歩けば、目指していた大通りだ。腕時計に目を向けると11時をまわったところだった。店からここまで普通に歩けば10分ぐらいだろうけど、すでに30分以上経ってる。
 前に視線を戻すと、急に立ち止まっていた日向サンにぶつかった。

「やっぱちょっとふらつくから、手貸してくれない?」

 ぶつかったことは気にも留めないで、振返ってその人は言う。

「いいですよ」

 俺がそう言うと、隣に並んだ日向サンは俺の右手に触れて、指を絡ませて歩き出した。俺も慌てて歩き出す。
 これって、所謂恋人繋ぎ? 手を貸してってこういうこと? それ以前に、どうなってんだよこの状況!?
 驚いて隣の見ると、相手は逆側へと顔を向ける。
 何考えてるんだかわかんないんですけど!!? 手、手に汗かいてきた……ちくしょう。
 ヤバい。前言撤回する。酒のせいにして、何にも覚えてないとかナシで! 都合よく、明日には全部忘れてたりとか、絶対ナシで!!
 そんなことを、必死に考えていた。






「ひかげ」
<05/10/19>


降り刺す渇いた風は
僕の中の
壊れた部分を広げようとする


身を委ねる選択は
臆病な僕でも容易にできてしまう


心地よい痛みが
僕を誘惑する


(詩集「Re:」より)






「急に声かけたけど大丈夫だった?」

 昼休憩。会社近くの蕎麦屋で、デート中。だったらいいなと思いながら、メニューを眺めている。
 向かいに座っている人はつい最近まで対して親しくもなかった人で、オレの片思いの相手だ。

「はぁ。大丈夫じゃなかったら断ってます」

 合った目を逸らしながらオレは言った。
 いつもなら1人で食べている所だが、午前中は外に出ていたこの人から電話があって今こうしている。誘われるのは何回目だったっけ? 5回ぐらいか?

「だよね。ひとりで食べてもおいしくないから、影日君つかまってよかったよ。おごるから好きなの頼んでいいよ」

 疲れているはずなのに、今日も爽やかな笑顔を向けられる。
 オレ相手に笑顔を振りまいても、いいことなんてないと思うんだけど。

「じゃ、豪華海鮮丼で」

「一番高いやつ選んでくれたなぁ。さすが影日」

 こんなことしても、何故かご機嫌。さすがの意味がわかんないんですけど。
 忘年会があった日から、こんな風に昼飯を誘われたり、前より話す回数がかなり増えた。
 何て言うか、正直こういう展開になることを予想もできていなかった俺は、ここから先が想定できなくて、困惑? 動揺?
 運ばれてきた豪華海鮮丼は、ネタが丼からはみ出していた。豪華と銘打ってあるだけあって、何種類もの魚と、いくらやウニものっている。

「頂きます」

「いただきます」

 日向サンは鴨南蛮を食べていた。相変らずキレイな箸使いで、お手本みたいに食べている。こういうところがいちいち……好意を押し上げていく。
 てか、嬉しいけど、何なんだろうこの関係。よくわからない。
 ほんと、この目の前で蕎麦食ってる人が何考えてんだかさっぱりわからない。

「どうかした? おいしくない?」

「いや、うまいです」

「ならいいけど」

 そう言った日向サンは、こっちをじっと見たままだ。

「こっちも少し食べます?」

 オレの言葉に日向さんは首を横に振った。

「いや、そうじゃなくて。今日会ってからため息つくの3回目だし。なんか悩みでもあるの?」

 あんたのことだよ……!とは、思っても口から出てこない。
 弄ばれているような気もする。社内で浮いてた、誰とも親しくしようとしない俺を手なずけていい気になってるとか?

「蕎麦のびますよ」

 俺はそう言って食事を再開した。
 気付かないうちに3回もため息ついてたとか。いつにも増して感じ悪いな、俺。せっかく日向サンと飯食ってんのに。
 なんだかんだ、誘われれば断れないし、一緒に居られて嬉しい。でも、イライラするし辛い。
 どうしていいかわからない。
 結局、酔っぱらってちょっと手とか繋いじゃって、いい気になってるのはオレの方だったり。

 オレよりも早く食べ終わった日向サンは、ごちそうさまと手を合わせた後、何か考えているような感じでしばらく黙っていた。
 俺はそんな様子をそれとなく観察しながら、黙々と食べ続ける。
 キレイな髪だな……触ってみたい。ずっと前から、そう思っていた。左手の薬指にしている指輪の存在を認識する前から、思ってたことだ。
 誰かのモノであるこの人を、どうにかして心から追い出そうと半年ももがいていた。こんなにも長く、この人のことを思い続けるなんて思いもしなかった。
 この人はどんな人を選んだんだろう……。
 うまいはずの海鮮丼は、たいして味も感じられない。俺は今、どんな顔して食べてんだろう?
 俺がちょうど食べ終わったころで、日向サンが口を開く。

「本当に、嫌だったら断ってね。こんなんでも一応上司なわけだけど、別にそんなことで影日君の評価を悪くしたりしないから」
 嫌だなんて言ってないし! そんなことする人じゃないってことぐらい知ってるし!!

「そんなことわかってますよ! そうじゃなくって」

 伝えたい気持ちと焦りのせいで声がでかくなった。店内にいた人たちの視線が突き刺さる。
 なにやってんだか……。
 恥ずかしくて日向サンの顔がまともに見れない。相変らずカッコ悪すぎ。

「うん。わかった」

 日向サンはそう言って頷いたみたいだった。
 落ち着きたくてお茶を飲んでみたが、そんな風に日向さんが軽く返事をしたのが何か許せなくて。

「いや、全然わかってないですよ」

 俺は俯いたままそう言って、店を先に出てしまった。
 子どもか!!
 自分にそんなツッコミをしながら、それでも戻って謝ることもできない。
 だって、わかってない。あの人は俺がどんな想いでいるのか、どんな気持ちでいるのか、わかってない。
 でもそれって、当たり前のことだ。この状況を邪な想いでズルズルと続けているのも自分のせいで、いやならいっそフラれてしまえばいいものを、友達面して傍に居られることを選んでる。
 2番目でもいいから、遊びでもいいから、こんなことを思ったところで、この人は絶対にそんなことをするような人じゃないってわかってる。寧ろ、そんなこの人であって欲しい。
 ぐちゃぐちゃだ。どれをぶっ壊せば前が見えるんだろう?
 いつの間にか社の自分の席まで戻ってきていた。椅子に座り、数分ぼけっとしたあと、このまま仕事が手に着くわけがなく、ミスしても誰かの迷惑になると思い早退した。
 自分がポンコツすぎて嫌になる。
 それからどう家まで帰ったのかも覚えてない。考えすぎて疲れた。俺はスーツのままベッドに倒れ込んだ。最後の記憶はそこで終わり。
 薄暗くなった部屋でぼんやりと目を覚ましたのは、ドアを開けるような音がしたから。
 ん?……俺、鍵閉め忘れたんじゃ?
 ベッドでぶっ倒れながら、一瞬考えて、俺は直ぐに飛び起きた。ガサゴソと音が聞こえる。さっきの音も夢なんかじゃない。
 とっさにスリッパを片手に握りしめ、慌てて玄関へと向かった。

「うわっ」

 ワンルームのマンションで、玄関までは徒歩6歩。そこに突っ立っていた人物の姿は直ぐに見えた。

「は?」

 ビニール袋片手に玄関に居たのは、今一番会いたいようで会いたくないような日向サンだった。

「ゴキブリでも出た?」

 日向サンの視線の先には、俺が手にしていたスリッパがあった。こんなもんで侵入者をどうにかしようとした俺も俺だが、勝手に人の家に入ってきておいて、この人他に言うことないのか?

「いや、出たのは日向サンでしょ」

「えー……。潰さないでよ、お見舞いに来ただけだし」

 馬鹿馬鹿しい会話をしたあと、日向サンからビニール袋を受け取った。中身はポカリに風邪薬。
 そう言えば、早退理由は熱が出たことにしておいたんだっけ。

「じゃあ、ゆっくり休んで。起こしてごめん」

 そう言ったこの人にうっかり「もう帰んの?」とか、口を滑らせたばっかりに、日向サンと部屋で2人っきりで向かい合ってコーヒーとか飲んでいる妙な状態になってしまった。
 気まずい。昼間のことも、今のこの状況もかなり気まずい!
 何でこの人あのまま帰らないで、のこのこと家にあがったりしてんだろ。いや、誘った? けどさ。でも、断れよ。何で断んないかな……

「そのまま寝てたの?」

 シワだらけのスーツを見ながら、日向さんが言った。

「そうみたいですね」

 自分で誘うようなことを言っておきながら、俺はそっけなくそう言って、コーヒーを飲み終えてこの人がはやく帰ると言ってくれることを願っていた。

 そんなことを知ってか知らずか、俺の言葉を気にすることもなく、日向さんは軽く部屋を見渡したりしている。

 そんな日向サンをいつものように観察していると、うっかり目が合った。にっこりと笑顔を返される。

「なんか、楽しそうですね」

「だって、楽しいよ? 影日君と話しするの」

「……頭、大丈夫ですか?」

「あははっ…それって、好きな相手に向かって言う言葉じゃないよ?」

 日向サンはそう言ってまた笑った。
 今、目の前のこの笑顔は、俺だけのものだ。
 気持ちを押し付けるだけじゃ、ただの自己満足で、気持ちを伝えること自体自滅するための呪文みたいなもんだ。
 わかってる。わかってるけど……。
 熱かったコーヒーが冷めていくのとは違って、俺の中に流れ込んだこの人への気持ちは未だに覚めない。苦いのに美味くて、何度でも欲しくなる。
 中々隙を見せないこの人の顔を歪ませて、俺の名前を何度も呼ばせてみたい。日向サンがカップを口に運ぶのを見みながら、そんなことを本気で今も思っている。
 そこでふと気付いてしまった。見慣れたあの指輪が薬指から消えていることに。

「なんで?」

 咄嗟にカップを持っていた手を俺が掴んだせいで、飲みかけのコーヒーは見事にこぼれた。
 日向サンの顔を見ると、相手はさほど驚いた様子もない。これってどういう……?

「……拭くもの貸して欲しいな」

 怒ってる?
 妙に冷静な日向サンを尻目に、俺は急いでタオルを用意して手渡した。

「すみません」

「大丈夫。ギリギリ服にはかからなかったし、冷めかけてたから手も火傷とかしてないよ」

 テーブルに零れたコーヒーを拭いて、次に自分の手を拭いながら日向サンが言った。
 この落ち着き払った態度が、俺には落ち着かない。俺の気持ばかりが空回ってるのがよくわかる。

「やっぱり気付いた。いつも見てるなと思ってたけど、やっぱり勘違いじゃなかった」

 日向サンの言葉に驚いて、俺はうまい言い訳も出てこないまま、何も言い返せなかった。
 指輪を気にして見ていたことが気付かれていた。顔にはその通りだと書いてあるに違いない。恥ずかしくて顔から火が出そうだ。

「これ、フェイク。つき合ってる相手も、結婚している相手もいないよ。縁談話とか、社内恋愛避けにつけてるだけ」

 そう言って、日向サンはポケットからいつも身に着けていた指輪を取り出してテーブルの上に置いた。

「まぁ、昔を引きずって誰とも付き合う気がなかったからしてたのもあるんだけど、今度から君と2人で会う時は外そうかな」

 この人何言っちゃってんの? これはどう考えても俺に好意があるとしか考えられないよな? 俺の勘違いじゃないんだよな……? 間違ってないよな?

「で、何を全然わかってないのかな?」

 話が切り替わる。やっぱり聞き間違いだったんじゃねーの? 自分の耳が信じられなくなってきた。

「は? 昼のあれ?」

「そう。昼のアレ。あの後1人でお店に取り残されて気まずい思いしたんだよね」

 確かに、俺が店内でデカイ声だして注目集めておいて、この人を一人取り残して店を出た……。しかも、 悪いことをしたと思ってる。

「す…みません。……の、……あの…」

「うん?」

 なんかもう、言った方がいいんじゃねーの? 脈があんだかないんだか。この中途半端な関係が続くのは正直キツイし。こんな状態がずるずる続くのも、今までの片思いも、この辺でぶった切った方が……。

「忘れてるかもしれないですけど」

「何を?」

 さっきまでコーヒーを飲んでいたハズなのに、口の中が乾いている気がする。唾液を飲み込んで息を吐いた。
 真っ直ぐにこっちを見る目を、受け止める勇気がない。俺は視線を落として、いつかも言った台詞を繰り返す。

「俺、日向サンのこと好きです」

「うん」

「いや、うんじゃなくて!!」

 声がまたでかくなる。返ってきた言葉に納得がいかなくて、俺は直ぐに顔を上げた。日向サンとまた目が合う。いたって真面目な顔でこの人はそんなことを言っている。

「それはわかってるよ、ちゃんと」

「え? いや、わかってないでしょ」

 ダメならダメだってバッサリ言ってくれれば、諦めもつく。ずっと前から心の準備もできてるし、言うつもりもなかったぐらいだ。
 どれだけ言えばわかってくれるんだ? 何て言えばわかるわけ?

「わかってないのは影日君の方でしょ?」

 急に立ち上がった日向さんの手が、緩んだ俺のネクタイへを掴む。引っ張られるようにして俺の腰も浮く。

「……何言って」

 言葉は途中で遮られた。口は日向サンの唇によって塞がられ、俺は大きく目を見開いていた。
 何が起こってんの? もう、わけわかんねーし!! やばい…うまくないか……?! 気持ちいいんだけど!?
 やっぱ、何考えてんのかわかんないんですけど……。

「よくこっち見てたでしょ? そういうの気付くんだよね。他の人は気付いてなくても、誰が誰のことを好きだとか、そういうやつ。日影君はわかりにくかったけどね。視線は感じるんだけど行動とか言動とか? そういうのが伴ってないっていうか。最初は監視されてんのかと思ったよ。で、この前話しかけてみたんだよね。自分と同じように思ってくれてるのかどうか確かめたくて」

 ……それって。
 目の前の人は、いつものように爽やかな笑顔でそんな話をしている。このポーカーフェイス並みの笑顔を、どうしたら崩せるんだろう。1人振り回されて、なんか悔しい。

「……こんなこと言うのに、半年もかかったけどね」

 半年? 最初っからってバレてたってことか。

「ちゃんとわかった?」

「もう1回、キスしたらわかるかも」

 優しくそう聞いてきた日向サンにそう言うと、嬉しそうに笑って頷かれた。
 夢なら覚めるな。覚めたら殺す。






「ひなた」
<05/09/19>


降り注ぐ暖かな陽が
僕の中の
冷たく尖ったものを溶かそうとする


身を委ねる決心が
臆病な僕にはまだできていないのに


心地よい痛みが
僕を許そうとする


(詩集「Re:」より)



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